2010年10月18日月曜日

今回も熱かった!「龍馬伝」

いやー、龍馬に痺れてます!!

今回も格好よかったですよ、龍馬は。

ざっくりあらすじを説明すると
先週、岩崎弥太郎の弁舌のおかげで
海援隊が伊予国(現在の愛媛県)の大洲藩
から貸与された「いろは丸」が
紀州藩の船「明光丸」と衝突し沈没してしまいます。

紀州藩は当時徳川御三家の一つであった為、
普通であれば泣寝入りです。

しかし、そこは龍馬!
逆にこのピンチを幕府の権威を崩す
チャンスに変えてしまうんです!!
(ここが痺れるところ!!)

当然、龍馬には勝算がありました。
明光丸には見張りの人間がいなかった事を
龍馬は事故直後に航海日誌を読んで確認してたのです。


まずは尻込みする後藤象二郎を
紀州藩と対決する意思を固めさせます。

そして、紀州藩に談判を申込み、
この衝突事件が明光丸の過失によるものだ、
と泣寝入りせずに主張をしたのです。

当然、紀州藩はプライドもあるし、脱藩浪士ごときに
まんまとやられるつもりもないので、
長崎奉行所、果ては公儀(幕府)に調停させようとします。
そしてその日の談判はそれでお開きになってしまいました。


もし、幕府側に調停に持ち込まれたら、
紀州藩に適うはずも無ければ、
正当で公正な判断をされるはずもありません。

また、龍馬にはある秘策があり、その為にはどうしても
もう一度談判の場を設けなくてはなりませんでした。

そこで、今まで培った人脈を駆使して、
紀州藩の権威を失墜させるような歌を
市井に広めさせてったのです!

思わず、顔に泥を塗られる形となった紀州藩は
堪らず第二回目の談判に応じる事となったのです。
そしてその会談の場には、龍馬には都合よく
勘定奉行まで直々に来たのでした。


そこで、龍馬は「万国公法」という国際法のもと
イギリス人のケッペルという裁判官(?)を立てて、
紀州藩から約8万4千両もの賠償金を勝ち取ったのでした!!
(ちなみにこの事件が日本初の海難審判事故とされます)

いやー痛快ですよね!

しかし、この事件がきっかけで一気に時代が回り始めます。
ある意味龍馬の寿命を短くさせた事件になるのかもしれません。

さあ、龍馬伝は一気に佳境へ向かっていきます。
11月一杯で終了なので、もう後6回で終わりみたいです。
寂しいな~!

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