2010年10月25日月曜日

龍馬伝 後藤象二郎について

昨日も見てしまいました!
「龍馬伝」!!
昨日の話は船中八策を龍馬が書き上げるという、話しでした。
この船中八策は龍馬が影響を受けたものを
来るべき新時代に実現化させよう!
というもので、明治政府の基本理念にも使われたものみたいです。


さて、ここ最近の話の中で存在感が強くなってきてる後藤象二郎について
今回のブログのネタにしたいと思います。

後藤象二郎は吉田東洋の甥っ子です。
吉田東洋の甥っ子と言うだけではなく、
もちろん実力があったからでしょう、山内容堂に重用されてます。
また、蘭学や航海術、英学なども学びかなり学は高かったみたいです。

大監察に就任後は、公武合体派の急先鋒として、
武市半平太らを切腹させるなど土佐勤王党を弾圧しました。
(ここら辺は龍馬伝を見ていると龍馬側からの視点なので、
後藤象二郎に反感を覚えてしまいますよね)

その後は紆余曲折があり龍馬と接近、
龍馬の提案に基づき 、将軍・徳川慶喜の大政奉還を提議。
薩摩と薩土盟約を締結するなど、龍馬との連携も強くなります
この薩土盟約は薩摩との思惑のズレから後に解消されてしまいます。

しかし、薩摩との提携解消後も大政奉還への努力を続け、
山内容堂とともに連署して大政奉還建白書を提出。
慶喜がこれを受けて大政奉還を行いました。

明治政府でもは参与、左院議長、参議などの要職に就き、
一時は征韓論争に敗れ、板垣退助・西郷隆盛らと共に下野しますが、
黒田内閣や第1次松方内閣で逓信大臣、
第2次伊藤内閣で農商務大臣などを歴任するなど、
かなりの重要な存在だったようです。

かの福澤諭吉から「非常大胆の豪傑・満天下唯一の人物」は後藤伯だけであると、
高い評価を受けていたみたいです。

また、ちょっとしたエピソードですが、
日本人ではじめてルイ・ヴィトンの製品を愛用した事でも知られていて、
パリの本店で鞄を購入したみたいです。

龍馬伝で後藤象二郎を演じているのは青木 崇高さんという方 です。
彼がもの凄く存在感のある(時にはムカツクぐらい憎たらしい)演技を
していて、それがとても良い感じです。

彼は「本日も晴れ。異状なし」というドラマに
照屋光生役で出ていたみたいですね。
(松下奈緒さんに想いを寄せる、ちょっとボケた青年役です)
自分はこのドラマが好きだったので、
よく見ていたのですが、
あの役の人が後藤象二郎か、と思うとかなり意外でした!!

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